発達障害かもと悩んだ8ヶ月|療育を決めた日までの本音

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この記事は、8ヶ月前の私に向けて書いています。

深夜1時、子どもふたりを寝かせたあと、暗い寝室でスマホの明かりだけつけて「2歳 保育園 給食 食べない 発達障害」って検索していた私です。検索結果を上から順に開いて、「3ヶ月もすれば慣れますよ」って書いてある記事を見つけて、ちょっと安心して、でも次の日また同じことを検索する。あれを8ヶ月やりました。

先に結論を書いておきます。うちの娘は、8ヶ月間まったく改善しませんでした。そして2歳半で、地域の児童発達支援に通うことを決めました。

だからこの記事は「大丈夫、いつか慣れますよ」を探しに来た方には、ちょっとしんどい内容かもしれません。でも私は当時、そっち側の話がどこにも書いてなくて本当に困ったんです。慣れなかった家の記録が、ネットのどこにも見つからなかった。

なので書きます。慣れなかった8ヶ月と、療育を決めた日までの、かなり情けない本音の話です。

目次

先に言います。うちは8ヶ月、何も改善しませんでした

当時の私、ネットの体験談を集めるのが趣味みたいになってました。「最初は泣いてたけど1ヶ月で慣れました」「夏休み明けから急に食べるようになりました」。そういう記事をブックマークして、お守りみたいに読み返してたんです。

で、うちの娘の場合。

1ヶ月経ちました。食べません。3ヶ月経ちました。食べません。ネットの体験談的にはここでそろそろ転機が来るはずなんですけど、来ません。6ヶ月経ちました。まだ食べません。お昼寝も、一度もできたことがない。

結果、お昼ごはんの時間が終わったらお迎えに行く、というスタイルが完全に定着しました。定着っていう言い方、前向きすぎますね。要は8ヶ月間ずっと、給食もお昼寝も攻略できないまま終わったということです。

もし今、「うちだけこんなに長引いてるのでは」と思っている方がいたら。ここにいます。8ヶ月やった家がここにいます。少なくとも「うちだけ」ではないです。

1歳11ヶ月、週2回の保育園デビューでいきなり躓いた

2025年の6月から、週2回の保育園通いが始まりました。週2回でも預けられるならありがたい、という気持ちで送り出したんです。

甘かった。

給食に手をつけないまま8ヶ月が過ぎた

初日から食べませんでした。まあ初日はそういうものだろう、と思いました。翌週も食べませんでした。まあ2回目だし、と思いました。この「まあ」を、私は8ヶ月分繰り返しました。

家では食べるんですよ。うどん、カレー、ハンバーグ、お肉類。野菜を単体で出すと明確に拒否されますけど、それくらいの偏食ってどこの家にもありますよね。だから食べる力がないわけじゃない。園という場所では、食べないんです。

お昼寝ができず、毎回お迎えコールだった

そしてお昼寝。これも一度も成功しませんでした。

正直に書きますね。この時期の私の午後の予定は、娘の給食の進捗に依存していました。会議の途中でスマホが震えるたびに心臓が跳ねる。すみません早退します、を言い続ける8ヶ月。職場の理解がなかったら詰んでたと思います。あのとき何も言わずシフトを埋めてくれた同僚に、いまだに菓子折りを渡し足りていません。

先生に体を触られるのが無理、自分の場所に入られると怒る

先生から聞いていた園での様子を、いくつか書いておきます。診断の話ではなく、当時見えていたことだけです。

まず、体に触れて誘導されるのを嫌がる。手を引かれて「こっちだよ」とやってもらうと、それ自体に強く抵抗する。それから、自分がいる場所に他の子が入ってくると怒ってしまう。あとは、絵本の読み聞かせや製作活動みたいな、自分の興味がないものにはすぐ飽きて立ち歩いてしまう。

これ、園の運営側から見たらどうなのか、当時の私はけっこう冷静に想像できていました。だって20人近い子を数人の先生で見ているところに、触られるのを嫌がって、自分の場所を守って、活動から抜けていく子がひとりいるわけです。手がかかる。それは間違いなく手がかかる。

だから園に対して腹が立ったことはあまりないんです。腹が立つより先に、申し訳なさが来ていました。それはそれで、けっこう体力を削られる感情でした。

一番しんどかったのは、家の娘と園の娘が別人だったこと

ここが、この8ヶ月で一番きつかったところです。

家では4語文で喋って、ぶつけた場所を説明していた

家の娘は、2歳前半の時点で「パパ、こっちおいで。ボールやろうよ」を平気で言っていました。4語文です。こっちの言っていることも、だいぶ分かっている。

急に泣き出したときに「どうしたの?」と聞くと、「足、ここにドーン!したの」と、どこをどうしたかを自分で説明します。原因と場所を分けて話せる。私は正直、この子ちょっと賢いんじゃないかと思ってました。

くしゃみにティッシュ、兄の看病、絆創膏を持ってくる子だった

さらに言うと、気遣いの人なんです。

私がくしゃみをすると「まま、どうしたの?」と来て、ティッシュを持ってきて、私の鼻を拭いて、ゴミ箱に捨てるまでやります。お兄ちゃんが風邪で寝込んでいたときは、横に座って頭を撫でていました。誰も教えてないのに。私が「痛い!」と言えば「大丈夫?」と聞いて絆創膏を取ってくる。

先読みもします。パパが「タブレットどこ?」と聞いたら、タブレットと一緒にスタンドまで持っていく。お兄ちゃんが鼻をほじっていたらウェットティッシュを渡す。2歳の所業じゃないだろ、と夫と笑っていました。

なのに園の所見は「単語の意味の理解が少ない」だった

その子の園での評価が、こうでした。イラストと単語の意味を理解していることが少ない。製作の意味を理解していない。

これを聞いた日のこと、けっこう覚えてます。怒りではなく、混乱でした。え、誰の話ですか、って。うちで兄の看病をしている子と、同じ子の話ですか、って。

先生が嘘をついているわけがないんです。先生は先生が見た通りのことを言っている。私も私が見た通りのことを知っている。両方本当なら、この落差はどこから来るんだろう。そこが分からないのが、たぶん一番怖かったんだと思います。

「発達障害かも」と検索し続けた夜のこと

家では極めて賢い。園では8ヶ月経っても食べない、寝ない。このギャップを、当時の私と夫はうまく処理できませんでした。

夫(データ重視のSE)の対処法は、資料を集めることでした。発達に関する本を買い、チェックリストを並べ、うちの子はここが当てはまる、ここは当てはまらないと整理していく。論理で霧を晴らそうとするタイプです。

私の対処法は、深夜の検索でした。整理する気力がないので、ただ検索して、当てはまる記事を見つけて勝手に落ち込むという、いちばん生産性のないやつ。夫が「データが足りない」と言うたびに、私は「私の気持ちのデータも見てくれ」と思っていました。あれは完全に私の八つ当たりです。

ただ、この時期に子どもの体の発達についての本を読んだのは、結果的にはよかったです。何かを診断するためではなく、日々の様子を「なんとなく不安」ではなく具体的に見る手がかりになりました。

園ではできないのに家ではできる、を私はこう解釈した

医学的な話は一切できないので、当時の私がどう納得したか、という話だけ書きます。

たぶん娘は、刺激の量に対してすごく敏感なんだろう、と考えました。家は狭いし、いるのは家族だけ。音も、人の動きも、予測できる範囲に収まっている。だから本来の力が出る。

一方で園は、20人近い子どもがいて、音も動きも予測できない。そういう場所では、本来できることに蓋をして、自分を守るモードに入っていたんじゃないか。食べないのも寝ないのも、体を触られるのを嫌がるのも、そう考えるとつながって見えました。

これが正解だという証拠は何もありません。ただ当時の私には、この解釈がいちばん腑に落ちたし、腑に落ちたことで少し呼吸ができました。娘が何かをできないんじゃなくて、その場所では出せないだけかもしれない、と思えたので。

家では負荷を下げることに全振りした

園で消耗して帰ってくるのは、見ていれば分かります。なので家での方針を「レベルを上げる」から「負荷を下げる」に変えました。

切り替えが苦手だから、目で見えるようにした

口で「次はお風呂だよ」と言っても、切り替えがうまくいかない。それなら耳じゃなくて目に入れよう、ということで、やることを目で見て分かる形にしました。予告があるだけで、抵抗がだいぶ減ったんです。同じ手を使っている方はけっこう多いと思います。

食べるものは食べる、で妥協した

栄養バランス、諦めました。

うどん食べる。カレー食べる。ハンバーグ食べる。お肉食べる。じゃあそれでいい、以上、という判断です。園で食べていない日に、家で野菜と格闘して娘と私の両方をすり減らす意味が、どこにもなかった。

いま振り返っても、この手抜きは正解でした。あの時期に必要だったのは完璧な献立じゃなくて、母が夕方に絶望しないことでした。

2歳半、児童発達支援に通うと決めた日

2026年の1月頃です。

決断の話より、決めるまでの話を書きます。あの言葉を口に出すのに、私はずいぶん時間がかかりました。「療育に行かせようか」。これを言ったら、何かが確定してしまう気がしたんです。可能性の話が、事実の話に変わってしまう気がした。

だから言わない。言わないけど頭からは消えない。あの数週間、私はずっとその言葉を口の中で転がしていました。

実際に決めてみて分かったのは、確定したのは診断じゃなくて、選択肢だったということです。合う環境を探しにいく、という選択肢が増えただけ。娘に何かのラベルが貼られたわけでも、私の育て方に判定が出たわけでもなかった。

ここに気づくのに8ヶ月かかりました。もっと早く気づけたなら、あの深夜の検索は半分に減っていたと思います。

あのとき知りたかったことを、3つだけ書いておきます

対策リストはよそに山ほどあるので、そこには書いてなかったことだけ。

ひとつ。期間の話です。「いつか慣れる」の“いつか”が来ない家もあります。うちは8ヶ月来ませんでした。だから3ヶ月で焦らなくていいし、6ヶ月で自分を責める必要もないです。

ふたつ。園の所見と家の様子が食い違ったとき、どちらかが嘘なわけじゃないということ。両方本当です。その落差自体が、その子の情報だと思って持っていくといい。私は「家ではこうなんです」を先生に伝えるのが遅すぎました。

みっつ。親のほうが先に限界が来ます。これは本当に。子どものことばかり調べて、自分が削れていることに気づけないのがこの時期の罠です。私は夫にも職場にも当たり散らしていましたが、いま思えばもっと早く、家族以外の誰かに話しておくべきでした。

最後に

さて、その娘が現在3歳です。

超おしゃべりです。朝から晩まで喋っています。「ままきいて」「ままあのね」「ままそれちがう」。あの静かだった娘を返してくださいと、週に3回くらい思っています。給食を食べなかった子は、いま家で私の話を全部さえぎってきます。

あの8ヶ月の私に伝えたいのは、たぶんこれです。この子は喋らないんじゃなくて、あの場所では喋らなかっただけだよ。だから安心して、今夜はもう検索やめて寝な。

同じ検索をして、ここに辿り着いた方へ。うちの話が正解だとは言いません。でも、慣れなかった家がひとつここにあると知って、少し肩の力が抜けたなら、この記事を書いた意味はあったと思います。

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この記事を書いた人

HSC(ひといちばい敏感な子)の3歳娘と、5歳長男を育てるママ。
「一生家族でお出かけできない」と絶望していた過去から一転、特性を理解した今では家族旅行も楽しめるように!当ブログでは、敏感な子が笑顔になる「知育玩具・お宿」や、親の心が軽くなる「時短家電・サービス」を本音でレビューしています。

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